2025年夏の甲子園で沖縄尚学高校の優勝に大きく貢献した新垣有絃選手。
2年生ながら背番号10番を背負い、エース級の活躍を見せた右腕投手として全国的な注目を集めています。
この記事では、新垣有絃選手の出身中学校や小学校時代の実績について詳しく紹介していきます。
地元沖縄で着実に力を磨いてきた彼の学生時代のエピソードを交えて、まとめていきたいと思います。
新垣有絃の出身中学や小学校は?

新垣有絃選手の学歴について、中学校と小学校時代の詳細を紹介します。
彼の野球への情熱と才能は、幼少期から地元沖縄で培われてきました。
地域に根ざした教育環境の中で、新垣選手がどのように成長してきたのか詳しく見ていきましょう!
出身中学校:八重瀬町立東風平中学校
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新垣有絃選手の出身中学校は、沖縄県「八重瀬町立東風平中学校」です。
この学校は1948年に創立された歴史ある中学校で、現在の生徒数は約916名、33クラスを抱える大規模校として知られています。
校訓は「立志・創造・鍛錬」で、生徒の志を高め、創造性を育み、心身を鍛える教育方針を掲げています。
東風平中学校は運動部活動が盛んで、特に野球部は県内でも強豪として知られており、新垣選手の才能を開花させる環境が整っていました。
同校の著名な卒業生には、元プロ野球選手の比屋根渉さんがいます。
比屋根さんも東風平中学校から沖縄尚学高校に進学し、その後国学院大学を経て東京ヤクルトスワローズでプロとして活躍しました。
新垣選手と同じ「東風平中学校→沖縄尚学高校→全国区で活躍」という道筋をたどった先輩の存在は、彼にとって大きな励みとなったかもしれませんね!
【東風平中学校(まとめ)】
項目 | 内容 |
---|---|
創立 | 1948年(東風平新制中学校)、1952年に東風平中学校に改称、2005年に八重瀬町立へ |
校訓 | 「立志・創造・鍛錬」 |
生徒数・学級数 | 約916名 / 33クラス(2025年8月現在) |
通学区域 | 東風平、伊覇、上田原、屋宜原、富盛、世名城、高良、志多伯、当銘、小城、宜次、外間、友寄 |
アクセス | バス停「東風平中学校前」徒歩1分、ゆいレール駅からバス等利用 |
学校の特色 | 運動系部活が強力、地域に密着した活気ある学校 |
著名な卒業生 | HITOE(歌手)、比屋根渉(元プロ野球選手) |
出身小学校:八重瀬町立東風平小学校(推定)

新垣有絃選手の出身小学校について、公式な発表はされていませんが、「八重瀬町立東風平小学校」である可能性が高いと考えられます。
新垣選手は沖縄県八重瀬町の世名城地区出身で、この地域の通学区域では東風平小学校が指定校となっているためです。
世名城地区は人口約1,000人の小さな集落で、地域の結束が強く、子どもたちの教育にも地域全体で取り組む環境が整っています。
東風平小学校の卒業生は通常、東風平中学校に進学するため、新垣選手もこの流れに沿って進学したと推測されます。
小学校時代の新垣選手は、学業と野球を両立させながら充実した学校生活を送っていたと考えられます。
少年野球チームで活躍し、全中ベスト4の実績も!
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新垣有絃選手は、小学生の頃から野球を始めていて、中学校では全国大会に出場するほどの経験を積んできました。
地元の少年野球チームでの思い出や、中学時代の素晴らしい活躍についてもご紹介します。
早い時期から野球に夢中になり、その才能をどんどん伸ばしてきた新垣選手。
そんな彼が一体どんな学生時代を送ってきたのか見ていきたいと思います。
小学校時代|世名城ジャイアンツでの活躍
新垣有絃選手は小学1年生の時に、地元の少年野球チーム「世名城ジャイアンツ」に入団。
このチームは1969年創部の伝統あるチームで、新垣選手が入団した頃は創部から約40年以上の歴史を持つ名門チームでした。
【世名城ジャイアンツの概要】
兄の瑞稀選手と一緒に入団し、練習試合が終わってもなかなか家に帰らず、兄弟でいつまでも白球を追いかけていたそうです。
父の盛之さんが元高校球児で野球経験者だったこともあり、家族全体で野球に取り組む環境が整っていたそう。
世名城ジャイアンツでは主に内野手としてプレーし、ショートのポジションを任されていました。
チームは2016年には沖縄県大会で優勝し、全国大会にも出場するなど県内屈指の強豪チームとして知られています。
新垣選手の小学生時代の性格は「普段は大人しいが、野球になると負けず嫌い」と周りから言われていたそうで、競争心の強さが既に表れていました。
【世名城ジャイアンツでの実績(まとめ表)】
年代 | 活動・所属 | 主な実績・大会成績 | 特徴・備考 |
---|---|---|---|
1969年 | 創部 | – | 沖縄県八重瀬町世名城を拠点に創部。地域の子どもたちに野球の楽しさを伝える。 |
2016年 | 少年野球チーム | 沖縄県大会優勝 | 沖縄県大会10度目の優勝。 |
2016年 | 全国大会 | 第45回全日本学童軟式野球大会出場(新潟県) | 沖縄県代表として全国大会に出場。 |
2016年 | 全国大会 | 高野山旗全国学童軟式野球大会優勝 | 全国52チームの頂点に立ち、沖縄県勢初の快挙。 |
継続的活動 | 練習・育成 | 基礎練習の徹底、打撃力・守備力強化 | チームワーク重視、地域協力で活動を維持。 |
将来展望 | 選手育成 | プロ野球選手輩出を目指す | 少子化の影響はあるが地域支援で次世代育成に注力。 |
中学校時代|全国中学校軟式野球大会ベスト4の快挙!
東風平中学校に進学した新垣選手は、軟式野球部に所属し主にショートを守っていました。
しかし中学時代から投手としても登板機会があり、この時期に投手としての才能が開花し始めました。
細身ながら鋭い動きと高い運動能力で、チームの中心選手として活躍していました。
中学2年生の夏には、全国中学校軟式野球大会に出場し、チームをベスト4まで導く大活躍を見せています。
走攻守すべてに優れた選手として上位打線も任され、打撃面でもチームに大きく貢献していました。
全国ベスト4という実績は、後の沖縄尚学高校進学への大きなアピールポイントになったかもしれませんね!
新垣有絃のプロフィール

【プロフィール】
名前:新垣 有絃(あらかき ゆいと)
生年月日:2009年1月21日
出身地:沖縄県八重瀬町世名城
身長・体重:175cm、65kg
投打:右投右打
ポジション:投手
背番号:10番(沖縄尚学高校)
【新垣選手の投球スタイル】
・細身の体型を活かしたしなやかなフォームが特徴的。
・最高球速は146キロを記録し、常用球速は140~146キロの速球に加え、120キロ後半の切れ味抜群のスライダーとフォークボールを武器に持つ。
・175cmという身長ながら角度のある投球が可能で、外角・内角への絶妙な制球力も持ち合わせている。
・比嘉公也監督からは「春は行儀の良いストレートだったが、今は角度も出て、変化球の精度も上がった」と評価されているほど。
【家族構成】
新垣選手の家族は父・盛之さん(45歳、元那覇商OB)、母・由紀子さん、兄・瑞稀選手、妹2人の6人家族です。
続柄 | 名前 | 概要 |
---|---|---|
父親 | 盛之(もりゆき)さん | 1980年生まれ(2025年8月時点:約45歳)元高校球児で投手として活躍。現在は社会人チーム「沖縄ゼネラルくすぶるず」に所属。地元の少年野球チーム「世名城ジャイアンツ」の監督も務めている。 |
母親 | 由紀子(ゆきこ)さん | 2025年8月現在、47歳。由紀子さんは「「有絃(ゆいと)」の由来はダルビッシュ有。イケメンになってほしい」と願って名付けたとのこと。 |
兄 | 瑞稀(みずき)さん | 沖縄尚学高校野球部で1学年上の兄。ポジションはファースト。弟と共にチームの甲子園出場に貢献し、非常に仲が良く、一緒に練習する姿も。 |
妹(長女) | 有絆(ゆいな)さん | 詳細情報は未公開。 |
妹(次女) | 心絆(みいな)さん | 詳細情報は未公開。 |
まとめ
新垣有絃選手は沖縄県八重瀬町出身で、東風平中学校で全国ベスト4の実績を残した逸材です。
小学校時代は世名城ジャイアンツで野球の基礎を学び、中学時代には投手としての才能が開花しました。
地元沖縄で着実に力を磨き、2025年夏の甲子園では沖縄尚学の初優勝に大きく貢献する活躍を見せています。
まだ2年生という若さながら、今後のさらなる成長と活躍が大いに期待される注目の投手ですね!